示談・供述調書に必要なのは事実ではなく署名捺印だ

●交通事故の被害者。2年以上前、供述書・示談書に、署名捺印をしてしまった。お金ももらってしまった。今さらながら、グダグダ嘆いても始まらない。もう、遅い。

「示談書には絶対、署名捺印してはダメよ」とよく聞く。その忠告を無視して、渋々とやってしまった。泣き寝入りしてしまった。

だが一部、納得がいかない箇所がある。正直言って、覆したいと思っている。今も、法律相談や県警相談室に行っても、「無理」と言われる。あきらめなさい、だ。

署名捺印後に、提訴して勝訴したら、示談・供述調書制度などが崩壊してしまうらしい。だったら、崩壊してもいいじゃないか。どうせ、司法・立法・行政はみな腐っているのだ。

示談屋が、法律違反、不当・不適当、いい加減、でたらめなことを提示しても、本人が署名捺印をすれば、「不利益」なことでも承諾したということになる。

示談屋は、自分が提案した内容が100%思い通りになって、気分がよいだろうな。自分の人生は、思い通りにいったためしがない。常に、妄想で終わってしまう。

犯人でもないのに、自白・供述調書に署名捺印をすれば、それで本人は全て真犯人になってしまう。その結果、いつもながら冤罪事件が多発している。

数日間も拷問のような取り調べを受ければ、自暴自棄に陥り、解放されたくて、ついつい署名捺印をしたくもなる。それは、真実でも何でもない。

自白をすれば、警察は裏づけをとる必要がない。遠い現場に行ってまで、時間と労力を要することもない。面倒くさいことは、したがらない。署名捺印が全ての証拠なのだ。

そこに、真実はない。「そうであろう。そうだったかもしれない」という、あいまいさだけが残る。不確定な状態で、署名捺印をしているのだ。

署名捺印さえすれば、公権力で「事実・真実」をもみ消しているのだ。司法に、事実認定は必要ないのだ。その証明書の提出をもって、裁判所も示談屋も全てを判断する。

裁判所などは、「真実」を追究する場所ではない。本人に対して、「承服・署名捺印」を強制・強要させる場所なのだ。公権力による、積極的な「強要罪」だ。

もしかすると、裁判所はバカなのかな。警察は、署名捺印した証明書を提出すれば、裁判所は100%採用すると思っているから、その制度を悪用しているのではないか。警察・検察庁・弁護士たちは、裁判所を騙しているのだ。

否、利口な裁判所は、それを知っていて判決を下しているかもしれない。面倒臭いから、それ以上の証拠書類に目を通したくない。無実だと分かっていて、犯人に仕立て上げる。

ノリピーの事件も、事実の追及は必要ない。空白の6日間を知る必要はない。さっさと、覚せい剤を服用した罪で、有罪判決を下そうぜ。懲役1年、執行猶予3年かな。

尿検査では、検出されていないはずだ。毛髪検査で検出されれば、有罪に持ち込める。






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